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越谷市の税理士 佐々税理士事務所

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人生の意味(令和7年)

私もそうなのですが、なかなか器用にうまく人生を生きれない性質をどうしても手放せずに悩んでいる人にとって、人生の意味というのは、たぶん長年の大きな懸案事項なのではないでしょうか?

自分の意志とは関係なくこの地に産み落とされ、突然に生きることを義務付けられ、さて私って何?と。小学校ぐらいから、どうもここは色々とルールがあるらしいことが分かり、あまり目立つと出る杭は打たれるらしい、さてさて私はどうしたらいいか?と。

自分の意志でこの人生に来たわけじゃない以上、人生に意味を持たせるは難しいような気もします。なので、人生に意味はないでいいのではないでしょうか?意味はないけど、この地球という存在はどう考えても奇跡以外の何物でもないと思われる以上、そこに生きている生物はすべてそれ以上の奇跡に違いない。私がここにいるのも、あなたがここにいるのも、同じ時代を生きているのも、そして出会ったのだとしたら、こんなの奇跡という言葉で片づけられるような代物じゃない奇跡に違いない。ましてや、その出会った人を好きになったなんて言ったら、ビッグバンと同じぐらいの奇跡で、その相手も自分が好きだったなんて言ったら、宇宙がもう一つできるぐらいの奇跡かもしれない。そう考えると、人一人は宇宙と同じなんじゃないですか。宇宙という概念があるのも人がいるからでしょうし、きっとそれぐらい人一人は奇跡的な存在なんだと思います。

だから、人生の意味がもしあるとすれば、それはもう人それぞれが大きな意味なのだと思います。だとすれば、他人に大きな迷惑を掛けない程度で、難しく考えないで、自分の幸せを追求すればいいのではないでしょうか?そこにおのずと人それぞれの生きた意味、生きた証みたいなものができるのかもしれません。

若者が死を選ぶということ(令和2年7月)

若い方が先に亡くなるのは無念です。

僕も若い頃は生きている意味が分からないという考えからどうしても逃げ切れないでいました。そして、それは普通の人がどうしても行きついてしまう落とし穴です。

しかし、僕は今までどうにか生きて来れました。生きていることに意味があるかどうかなんて、考えて答えが出るものではありません。

だから、若い人には、とにかく死にたくなったら、死ぬ気になれば何でもできるのではないか?と自分に問うてみて欲しいです。そして、自分を許せるようになるまでとにかく生きてみて欲しいです。その命がもしかすると一人の人を幸せにするかもしれない。他人を幸せにすることで自分も幸せになれることが分かる。人の喜びが自分の喜びであるところまで気が付けたら、きっと人を好きになることができます。そしたらきっと君を好きになってくれる人が現れます。そしたらその人をとことん好きになっていれば、もう人生、幸せだし、それ以上の幸せはこの世にないことが分かる。それ以外は飾りみたいなものだ。

だから、人を好きになって欲しい。人間は愛でできているんだと思う。だからまず自分を愛してあげないといけない。自分を愛せないと他人を愛せない。君には愛情がある。それだけで生きている意味がある。競争なんてくだらない。他人なんてどうでもいいんだ。君は君でいいんだ。その場所で死にたくなったら、どこでも世界中の好きな場所に行っていいんだ。若い人が先に死ぬのはどうしようもなく悲しい。

てんぐ(令和2年6月)

小泉孝太郎氏がラジオで、子供の頃にてんぐの写った写真をみたことがあるので、てんぐはいると信じていると言っていた。

小泉氏の人柄がうかがい知れる。たぶん素直なのだ。育ちが良いとは彼のようなことを言うのだろう。

翻って自分はどうだ。てんぐはいるかもしれないし、いないかもしれない。しかし、自分がいるのだから、何がいてもおかしくはないだろう。もうだめだ。どうなったらこんなにひねくれものになるのだろう。両親に申し訳ない。

しかし、世の中は不思議な事ばかりだし、知らないことだらけだから、何があってもおかしくない。私なんかは本当に無知だから、地球が回っていると聞いて、「なぜ目が回らないのかな?」とか思っている。まあ、たぶん目がそれに慣れてしまっているのだろうが。そうすると、実は私の普通の顔は凄い風圧でひしゃげている後の顔かと思ったりしている。でも宇宙に行ってる人の顔も変わってないな。慣性の法則か。まあ、馬鹿丸出しだ。私が知っていることなど無と言ってもいいだろう。だから自然に対して謙虚になりたいとも思う。

コロナ禍(令和2年6月)

新型コロナウィルスの一番怖いところは、人間が人間たる本質を見失ってしまうことではないだろうか?

ある人と久しぶりに会う。

お互いの近況を話す。

すぐに昔に戻る。

まるで学生時代に戻ったようだ。

お互い生活は変わったけど、本質は変わってない。

この人はやはり素敵な人だ。

出会ってよかった。

出会いとは経験である。経験は人間が五感で意識的、無意識的につかむ直感とも言える。会ってこの人は自分と合うかどうか、実はすぐに分かっているのではあるまいか。それほど人間の五感は鋭いと信じる。特に子供には神のような感受性が備わっているように思う。

人にとって経験は人生の土台になるものだろう。その土台がコロナ禍によって変質してしまうことを恐れる。恐怖のあまり人間の心を失ったところに、真実の恐怖が現れる。

9月入学見送り(令和2年5月)

思った通りの結論になりました。

何故こうなったか。

①受験生を中心とした子供達の嘆きに対して可哀想に思う大人も巻き込み大きなうねりができる。

②①を補強するために、9月入学はグローバルスタンダードなど理屈的な話が出てそれが話題の中心となるように誘導される。

③理屈には理屈で法律改正の話が出てくる。

④理屈の話になれば、それにかかわる大人達はただ仕事が増えるだけなので、現状維持の方向に根回しする。

⑤見送る理屈は山のようにあるので、当たり前のように見送りになる。

茶番です。

本質は子供を助けたいでスタートしたのに、最後は事務作業が大変なので拙速という得意技で締めくくりました。新しいものを現場の人に聞いたら、「やめろ」というに決まっている。企業でも戦略を決めるのは社長と数名の役員で部長以下にM&A等の議論が下りることはまずない。聞く必要のないところに、わざと聞いているのが見え見えで感じ悪い。

法律などは、普通の人はほとんど気にして生きてません。

子供の頃に親に言われた、「人様に迷惑かけるな」「自分がやられて嫌なことは人にするな」で、日常生活はほぼ足ります。

法律は単なる大人の喧嘩道具のようなものです。そんなところに人間の本質はありません。いざというときの防波堤のようなものです。

今回の件で、僕が心を動かされたのは、都立高校生だかが訴えていた私立校との教育格差をできるだけ抑えて欲しいと言う切実な願いです。この切実な願いは、僕には正しいように思えた。私立高との格差は埋まらないまでも、少し受験を先に伸ばすことで公平感を公立高校生が持てるのだとしたら、してあげてもいいのではないかと思った。それは単なる同情、感情論です。

人として僕はこの感情が大事なのではないかと思う。なぜなら、僕が世の中で一番大事だと考えている愛や優しさという概念も、感情に他ならないからです。

でも、今の世の中は、理屈が感情を上回っていることを今回の件でも証明されたような気がします。世の中を効率よく、効果的に動かすために人間が編み出した法律等の仕組みに人間の感情が縛り上げられ、解体されていくのは、あたかもこれからAIを活用してロボットや国家が人間を物のように支配していく世の中を暗示しているかのようです。

岡江久美子さんを悼む(令和2年4月)

岡江久美子さんが亡くなられたそうです。

テレビでたまに拝見していたので、なんだか他人ではないような感覚にとらわれます。

表情が伴わない死は数字でしか感じられないのに、表情が伴う死は人間がいなくなるという寂寞感を呼び起こすようです。これではいけない。どの死についても、人間がいなくなるという寂しさを感じる感受性が欲しいものです。それが自分に備わっていないと思うと、人格の欠落を思わないわけにはいきません。

人が一人死ぬということは、大変なことです。その一人は自分であってもおかしくなかった。そう考えると、なんだか寂しくやるせない気持ちになります。

この難局をどうすればいいのでしょうか。神に祈るしかない気持ちになります。どうか、連休明けから日常の生活を少しずつでも取り戻せますように。人と人とが普通に笑顔で語り合えますように。何卒、人類をお助け下さい。お願いします。

ご冥福をお祈り申し上げます。

原田直次郎の絵(令和2年4月)

原田直次郎という画家の絵と遭遇した。

どうやったらこんな絵が描けるのだろうか?

絵心がない私には、その才能に恵まれた人々が途轍もなく羨ましく思われる。

人はそれぞれ違ったことを考えているように、違った風景を見ていることを痛感する。

生まれ持っての眼球の差なのか、生まれた後の経験の差なのか。

たとえ才能に恵まれなかったとしても、世界をよく見ようと努めることは、必要なのかもしれない。

志村けん氏を悼む(令和2年3月)

志村けん氏が先日亡くなりました。

8時だよ全員集合は、父親のテレビ支配により、見ることが叶わないままでしたが、ひげダンスは拝見したことがありました。

その後もあまり接点はなかったのですが、何となく馬鹿の代表のように感じていました。

しかも、本当の馬鹿ではありません。馬鹿の仮面は仕事のために被ったものだったと想像します。この世の中に馬鹿な仮面で対峙し続けることは、並大抵の精神では不可能なことでしょう。その精神力に敬服します。

多くの人が馬鹿になりたいと思いながら、なりきれない弱さを抱えていることでしょう。それを看破していたに違いありません。

お疲れさまでした。ご冥福をお祈り申し上げます。

混沌(平成29年3月)

あっという間に、今年も3月の終わりになりました。

そうしている間にも、日本を取り巻く世界の情勢は混沌を極めてきているようです。

ブレグジット、トランプ政権の誕生、北朝鮮のミサイル発射、中国の南沙諸島の軍事基地建設、韓国大統領の罷免、シリア情勢、フランス保守への傾斜、ミャンマーの争奪、富の格差など少し考えるだけでも、様々な新たな事象が噴出しています。

これを資本主義が爆発する前の予兆的な発煙とみるか、どうかは良く分かりませんが、我々はとにかく日々を暮らさなければなりません。

暮らしに欠かせないのは、なんと言っても、仕事とお金になるでしょう。もちろん偉大な精神や家族や愛も大事ですが。。。。いやむしろそれが一番大事ね。

とにかく、この混沌とした世界がどこに向かうかは、さておき、新年度になりますし、新たなチャレンジなどをしたいところですね。

個人事業で拡大してきた人なら、会社を立てて永続的な発展を目指すのも素敵ですし、利益の拡大を目指すのであれば、新たな収益の柱を見つけるのも素敵でしょう。

結局のところ、日々の暮らしの中から生まれる人を笑顔にできるような商品やサービスへの新たな柔軟な発想が、混沌への解答になるのかもしれません。よね?

近大がウナギ味のなまずを開発(平成27年5月)

近大がウナギ味のなまずの養殖に成功したそうです。

ウナギの半額で、ウナギ味のなまずが食べられるようになりそうです。

近大マグロと言い、この分野の近大の活躍はすさまじいものがありますね。

スーパーに並ぶようになったら、是非、一度は食べてみたいと思います。

シャラポワの言葉

「成功というのは、朝起きて突然やってくることはない。」

 

華やかに見えるシャラポワのキャリアは、地道な練習に裏付けられていることを再認識させられました。

名言ですね。

ゲーテ

かの偉大なゲーテは言っています。

「商売をやってゆくのに、広い視野をあたえてくれるのは、複式簿記による整理だ。複式簿記が商人にあたえてくれる利益は計り知れない。複式簿記は、人間の精神が産んだ最高の発明の一つだ。」(岩波文庫 ヴィルヘルム・マイスターの修業時代より)

あの天才ゲーテが言うのですから、きっと間違いありません。

今日から、複式簿記で商売繁盛ですね! 

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ごあいさつ

税理士 佐々剛敏
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